Twitterのハッシュタグ「 #MeToo 」が話題になっていて、ちょこっと昔のことを思い出した。
私は「女性らしさ」とか「女性だから」という言葉は大嫌いです。
学生のころから「ヤマヒナは○○なんだからいいじゃん!」って友達に言われることも嫌いでした。
自分が思ってることはそっちのけで「○○だから」とレッテルを貼りつけられた気がしたし、それを言う相手は善意(少なくとも相手はそうだと信じている)だから否定的な自分の意見が言えないのが嫌でした。
自分の価値観を押し付けるということ
社会人になって初めていわれた言葉。
「女の子なんだからもっと気づかいできないの?」
「女の子なんだからお茶くみして」
「お菓子は女の子が配った方が受けがいいから配ってきて」
「なんでスカートはかないの?」
「もう少し化粧しっかりしたら?」
女だから気づかいしないといけないとか、女だからお茶くみするとか、女だからお菓子配るとか、倉庫の整理してって言うのになんでスカートをはけって言われるんだろうとか、ナチュラルメイクじゃなくていかにも化粧してますみたいな顔にしないといけないとか、今まで聞いたことのない価値観が存在していて、「なんでだろう?」という疑問の答えはすべて「女だから」。
生まれてから大学を卒業するまで言われたことがないことばかり毎日言われました。
そもそも、そんなこと学校で習ってない。
母親は「自分のことは自分でする」がモットーの人なので、ご飯のときにお茶を入れるとか、自分の部屋のゴミ箱のゴミを捨てるとか、洗濯物たたむとか、制服にアイロンあてるとか、全部自分でしてました。
中学校は「自主・自立・勤勉」、高校は「質実剛健」、大学の校訓は知りませんが、授業の登録からゼミの希望調査まで自分のことは自分で行うのが当たり前で、「自由」と同時に「自己責任」を基本とした校風でした。
そんな教育をうけて22年後、就職したら今までの自分の常識が全く通用しませんでした。
「女だから」お茶くみして、「女だから」お菓子配って、「女だから」スカートをはいて、「女だから」化粧でしっかり顔を作って、「女だから」気配りできて当然で、でも「仕事は男女平等」で頑張ってくださいって平気な顔して言ってくる会社。
仕事に関してならまだいいのですが、上記のとおり「女だから」という価値観を初めて目の前にして、かなりのカルチャーショックを受けてしまいました。
自分の価値観がすべて正しいとは限らない
思うんですけどね。
女だから気づかいが必要なんじゃなくて、人として社会生活を営むからみんなに気づかいは必要なんですよ。
締め切りが迫ってて追い上げをしている女の人にお茶くみ頼まなくても、お菓子食べながらぼんやりしてるおじさんでもお茶ぐらい入れれるでしょ。
なんで「女だから」やらないといけないのか、納得できないしさっぱりわかんない。
逆に言うと「男だから」という発言を許すということなんですが、ほんとにそれでいいんですか?
「男だから」働いて家族を養わないといけないんだから、奥様からのATM扱いも当たり前ということですよ?
世の中にはいろいろな考え方の人がいるんだということはわかっています。
しかし、自分の価値観が通用しない人がいるってことをわかっている人はそれほど多くはないんだと思います。
スカートははきたい人がはけばいいし、化粧の好みをわざわざ他人に押し付ける必要はないと思います。
でも自分が「こうあるべき」という価値観だから、「こうあるべき」と違う人に「こうあるべき」なんだからそうしなさいって言ってしまうんですね。
やっと始まった「ハラスメントをなくそう」という動き
私が働いている会社は、ようやく最近になって「ハラスメントをなくそう」という動きが始まりました。
何時代に生きてるのか本当に謎の会社です。
はっきり言って遅すぎです。
しかも、まだ改革が始まったばかりなので、「女だから」という言葉を使ってはいけないというレベルのことを社内のご年配方が学び始めた段階です。
当然のようにお茶くみは頼まれるし、お菓子は箱ごと渡されるし、就業時間の後はフロアのゴミ箱のゴミを集めて回っています。
飲み会では重役のおっさんの隣に座らされてお酌や配膳係は当たり前だし、肩を抱かれたり手を握られたりも普通です。
こっちがはっきり「やめてください」といえば、「酒の席なのに雰囲気を悪くするな」と怒られます。
でも私は「酒の席はこうあるべき」という価値観はないし、酔っているからと他人に体をべたべた触られるということを容認できません。
それでいて男女平等の名のもとに仕事は割り振られるし、力仕事も頼まれます。
毎年、セクハラ・パワハラ被害で数人の休職者や退職者が出ています。
今でも、自分の「こうあるべきだ」という思い込みを当然のように周囲に押し付け、違うと言えない空気を作り出し、プレッシャーに負けて働けなくなった人を「弱いやつ」だと悪者にする、非常に残念な風潮の会社です。
時代の変化に取り残されているんだと早く気づいて、若手の未来をつぶさない会社になってほしいものですが、正直あと10年くらいはかかりそうで、自分の将来を考えると、転職していく人たちと同じように別の道を探すのも大切なことなのかなと思います。
「女だから」系の雑用に手当をつけて仕事化するといいと思う
お茶くみ1杯につき100円の手当がつくようにしたら、たぶん男の人でもお茶を入れるんじゃないかなと思います。
1日20杯くらいお茶を入れるんですが、毎日の手当が2,000円、毎月の平日を20日としたら、毎月のお茶くみ手当は2,000円×20日=40,000円…?!
お茶くみ手当が採用されたら、喜んでお茶くむ人が増えると思いませんか?
朝・昼・3時に呪詛を唱えながら部署内の方々にお茶を入れているけど、いつものお給料にプラス4万円だったら笑顔で給仕できそうですね。
そして予算を抑えたい会社は思うわけですよ。
「お茶くみという仕事は無駄である」と。
無駄な「仕事」なら効率化をはかりませんか?
来客以外へのお茶くみは無しにするとか、オフィスに自動販売機を設置するとか、マイボトルを推奨するとか。
「仕事」と思ってない雑用だから、誰かが負担していても気にならないじゃないでしょうか。
「仕事」であれば男女平等なんだからみんなに割り振ればいいし、お茶くみなんて「仕事」じゃないという重役さんがいたら、なぜそれを社員が負担しているのかということを考えるきっかけになるんじゃないでしょうか。
さいごに
「 #MeToo 」の書きこみを見るだけで、自分だけじゃなかったんだという安心感と、やっと声を上げれるようになったのかという今までの出来事への虚しさと憤りがこみ上げてきます。
価値観を押し付けられて、それを受け入れることができなくて自分を消すようになると、心がとてもしんどくなります。
「女だから」とか「男だから」とか関係なく、いろんな価値観や個性が当たり前に受け入れられて、認められる寛容な社会になっていってほしいものです。